酪農学園 貴農同志会「第1回懇話会」の講演内容報告 

Date:2023.12.04


演題:「酪農学園創立100年に向かって ―巨人の肩に乗って 酪農学園を俯瞰する―」
講師:安宅一夫先生(前貴農同志会会長・元酪農学園大学 学長)

令和5年12月01日(金)11:00~12:30 酪農学園同窓生会館 2階会議室において「第1回貴農同志会懇話会」が開催されました。「酪農学園創立100年に向かって ―巨人の肩に乗って 酪農学園を俯瞰する―」と題して 安宅一夫先生(前貴農同志会会長・元酪農学園大学 学長)が熱意あるご講演をなさいました。この懇話会には貴農同志会会員13名と現教職員8名の合計21名が参加されました。
以下、『安宅一夫先生』の講演内容を紹介いたします。

1.今年はどんな年?:酪農学園創立90年、貴農同志会30年、デンマーク酪農家招聘100年。
2.酪農学園創立者「黒澤酉蔵翁」
1)1885年3月28日茨城県久慈郡世矢村(現常陸太田市)生まれる。黒澤酉蔵翁の生家の近くには    
徳川光圀の隠居所西山荘がある。
2)水戸藩主徳川斉昭は幕府に、水戸藩が蝦夷地の開拓警備を取り仕切る願いを出し、国名を「日の出国」・
 「北海道」(北方未来考)としたい。「北海道」の名付け親は松浦武四郎だが、彼の考えでは「北加伊
道」だったが、明治2年に太政官が検討して「北海道」とした。「北海道開発回顧録」黒澤酉蔵著1975
3)吉田松陰が松下村塾を開いて維新の大業を成し遂げた人材を世に送った如く、グルンドビーが亡国の危機にさらされたデンマークを救わんがために三愛主義に立脚した国民高等学校を興し、みごとその使命を果たした如く、私は酪農学園がその使命を達成することを切望する。そのためには正しき動議をもって建学の精神とする必要があった。「酪農学園だより、第1号」1969
4)封建時代を清算して、維新大業の思想的な種まきは吉田松陰の松下村塾であった。また明治時代の新旧思想の長をとり短を捨てて、文明開化の道を教えたのは福沢諭吉の慶応義塾であろう。いずれも「私塾」である。「反芻自戒」1972
5)西郷南洲先生の信条であった「敬天愛人」の敬天とは愛神と同じであり、これを実践する境地ではあるまいか。「酪農学園の建学精神三愛主義とは何か」黒澤酉蔵著1969
6)私は17歳から20歳まで、「田中正造」の門弟であった。義人田中正造は生涯を通じて、渡良瀬川沿岸の虐げられた貧農民救済に一身を捧げた仁者であった。青年時代に翁と起居を共にし、その人格に接して人生の意義を学んだ。それが私の生涯を支配した。恩師田中正造は今なお私の身中に生きており、私に愛と義の戒心を与えている。「反芻自戒」1972(米寿のとき)
7)私は少年時代に感得した水戸学の真髄たる「元を正す」「知行合一」の精神的土壌の上に、明治の義人田中正造氏によって暗示された国土尊重思想を重ね、さらには新井奥遼師から与えられたキリストの愛と義の人倫最高の道徳を加え、遂に「健土健民思想」を提唱する預言者の如き人として知られた。
 「北海道とともに一世紀 黒澤酉蔵翁を偲ぶ」北海タイムス社1982
8)酉蔵:1902年3月5日 家宅侵入罪で前橋監獄。無罪。婦人矯風会潮田千勢子から聖書の差し入れ。
 酉蔵:1902年6月16日 川俣事件公判中の結審で官吏侮辱罪で巣鴨監獄。出獄後、東京巣鴨の新井奥遼に聖書を学ぶ。
9)真の文明は山を荒らさず 川を荒らさず むらを破らず 人を殺さざるべし 「田中正造の日記」
10)『黒澤酉蔵の循環農法図』、『黄金の土』(酪農学園創立60周年記念)、
「田中正造翁のお墓」北川辺(黒澤酉蔵建立)1958年5月「田中霊祀」(題字に門人黒澤酉蔵とある)
11)黒澤酉蔵のもう一人の恩人(京北中学校卒業までの学資金援助):蓼沼丈吉氏と三好園
12)私は偉人グルンドヴィーに習い、日本再建の祈りを込めて、三愛主義をもって酪農学園の建学の
精神としたのであり、これを体得させ、実践する人材を輩出させることを使命とした学園でなけれ
ば存在価値はないと確信している。「酪農学園だより、第1号」1969
13)酪農学園の建学の精神は健土健民であります。酪農学園の真髄をなすものがいまひとつあります。それが三愛精神です。「酪農学園だより、第3号」1970

3.宇都宮仙太郎の功績 「日本酪農の父」 酪農の恩師と出会い、酪農に開眼する。(1905年7月)
1)酪農の技術普及:アメリカ酪農最先端技術エコフィード利用、
飼料作物の栽培・利用(アルファルファ、サイレージなど)、地上式塔型サイロ、キング式牛舎、
バブコック式乳脂肪検定と乳牛検定、ホルスタイン種乳牛の輸入、
札幌牛乳搾取業組合(1895)、北海道煉乳(1914)、
札幌牛乳販売組合(=札幌酪農組合、サツラク農協 1915)、北海道畜牛研究会(1925)、
北海道製酪販売組合(=雪印乳業 1925)
2)日本酪農の父 宇都宮仙太郎の幸運 (キング式牛舎とホルスタイン)
 ウィンスコンシン大学でアメリカ最高峰の学者に学ぶ。
 ・ヘンリー教授(世界最初のタワーサイロと飼料学)、 ・バブコック教授(脂肪検定)
 ・キング教授(キング式牛舎)。     ・優秀な弟子(黒澤酉蔵、町村敬貴、塩野谷平蔵)
 ・神田日勝(=天陽)の描いた『十勝酪農の絵』は昭和時代十勝酪農の風景画である。
(キング式牛舎、タワーサイロ、ホルスタイン牛が描かれている) 神田日勝氏は酪農学園卒である。
3)ウィンスコンシン州は酪農とビールの州である。(マジソン市で毎年開催されるワールドエキスポ)

4.私(=安宅一夫)と酪農学園の偉人の方々
1)現在の同窓生会館2階が私の研究室「家畜飼養学」(1971~1981)であった。
2)現在の中央館10階(1997年起工)が私の最後の研究室(2012~2017)であった。
3)教育は風景である:黒澤酉蔵翁(2011.2012.2014)「建学原論」
4)デンマークモデルの酪農学校:北海道酪農学校(北海道酪農義塾)として計画。
1933年10月1日、酪連・産業組合・集乳所職員ら25名で1か月間の短期講習。
農民道五則、塾内五則に基づき流汗悟道の精神を教育方針とした。
5)酪農学園大学のロゴマーク:デンマーク領土の変遷、
乳牛(ホルスタイン)と牧草の女王(アルファルファ)、
6)原田勇教授の活動:アジア酪農交流会のこと
サハリン州(ロシア)で原田勇教授が植えたアルファルファ(アジア酪農交流会)2001年6月
7)「乳と蜜の流るゝ郷」:賀川豊彦著 229頁
私は北海道札幌で教育会の大会があった時、札幌酪農組合の工場を見ましたがね。実によくやっているのにびっくりしましたよ。最近の凶作でも北海道の農民が困っていないというのは、まったく酪農組合のおかげといいますなあ。(中略)組合を作るなら、札幌の酪農組合のような、しっかりしたものをぜひ作りたいものですなあ。
8)酪農学園一筋半世紀:日本乳業の父「佐藤貢先生」
 佐藤貢先生(94歳)に酪農回顧録の執筆を依頼する(1992)「佐藤貢の生涯」(1898~1999)
9)建学の精神の継承者:遊佐孝五先生(学園長)(1999年度ホームカミングデーで)
10)6代目学長:牛島純一先生(1987年7月職員懇談会で)
11)楢崎教授のもとで46年
12)出納陽一教授:デンマーク農業とグルンドビーを紹介。(我が研究室の初代教授)
13)日本で見られた「大規模な硝酸塩中毒」と高橋清志教授:酪農学園植苗農場(1985)中毒写真
14)田中正造・黒澤酉蔵の系譜:水野直治教授と美味しい米つくりの先駆者・稲津脩博士
15)黒澤酉蔵翁の直系:黒澤酪農園「千歳市」は
  信次郎氏(2代目)、 誠二氏(3代目機農高卒)、 正太郎氏(4代目大学卒)、
晃太郎氏(5代目酪農学園大)と受け継がれている。

5.創立者「黒澤酉蔵翁」のメッセージ
 どうかみなさん、みなさんは酪農学園を構成する一員として、学園共同体の一員として学園の歩みき
 た道程を共にふりかえり、さらに研究し合い、ともどもりっぱな日本を築き上げ、酪農をさらに伸ば
すために日本一の学園を築き上げていこうではありませんか。「酪農学園だより、第3号」1970

6.まとめの言葉
 If I have seen further , it is by standing on the shoulders of giants . ― Isaac Newton ―
 私が彼方を見渡せたのだとしたら、それはひとえに巨人の肩に乗っていたからです。「 アイザック ニュートン 」
7.以上が講演内容でした。
酪農学園に想いのある皆様へ  温故知新、是非この講演内容をご一読ください。 (2023.12.02 干場敏博 記 )